愛と哀しみのボレロ(AD変換デジタル保存奮闘記1)

あけましてどうも!カカセオさんだぞ!

 やー、やりましたよ。VHSビデオのAD変換。

2個前の記事で書いた「愛と哀しみのボレロ」の完全版ね。

 

カカセオとこの作品の出会いは、20年以上前、当時たしか大学生だったか大学卒業後のフリーター時代だったかに、当時とても懇意にしてくれていた友人が教えてくれたのがこの作品との出会いだった。

作品概要はこんな感じね。

愛と哀しみのボレロ - Wikipedia

 

当時も映画が好きで相当数を観ていたのだけど、あんまり自分から選ぶような作品ではなかったので、この紹介がなければスルーしていた作品だった。

ちなみにその旧友の方は、今でも親交があり、なぜか年末になると適当にリハスタに入ってジャムって遊ぶ。という遊びに誘ってくれるのだ。

今年は映像に残して字幕を付けてくれた。

Zoomの中のあの子 - YouTube

 

カカセオは年に一回この時だけ楽器に触れるので、毎回低下しきった演奏技術で臨むわけだが、今回もやはりこの体たらくなわけである。

 

…いきなり本題からそれた。

そうこの「愛と哀しみのボレロ」はクロード・ルルーシュ監督によるものだ。

ルルーシュ監督は「男と女」で有名な監督だよね。

フランシス・レイが作曲したあのシ♭ー、シ♮ー、ドー、ド♯ド♯ド♯ド♯ド♯(ダバダバダ)…って曲が有名なやつね。

あれがルルーシュの代表作って言われてるけど、どう考えてもこの「愛と~」のほうが名作だと思う。

しかしあれだな。この作品の知名度がイマイチだったりするのはこのダサい邦題のせいではないかと思う。

タイトル的には下手にエロビデオ借りるよりカウンターに持っていくのをためらうようなレベルにも思える。

原題は「Les Uns et les Autres」で直訳すると「一方は、他方は」ってなって、意味的には「自分たちと他人」って感じになる。

当然原題なので、このほうが内容的にかなりシックリくるわけだけど、そこへ来てこのダサい邦題は無いなと。。。

考えた人のセンスの無さは絶望的だと思う。

(邦題ひどいあるあるは、あらゆる映画、音楽、著作に通じるものがあるから、なにもこれに限った話しじゃあないけれど。)

 

でね、

なんでカカセオがそんなにこの作品が好きかっていうとね、やっぱ20世紀なんですよ。

カカセオは20世紀の人間なので、なんというかノスタルな感じだったり、この前の記事にも書いたような世代を超えてのカタルシスだったり、おなじテーマを変奏して作中にちりばめてる感じだったり、、、いろいろあるけど、やっぱ20世紀ってところが根本にあるんだよね。

いや、20世紀ってさ、人類が史上最大の罪悪を犯したセンチュリーでもあり、またルネッサンスを凌駕する文明躍進のセンチュリーでもあり、なんというかすさまじいセンチュリーじゃない?

その感じ。

 

そんな「愛と~」なんだけど、完全版ってのがVHSとレーザーディスクでしか存在してなくてね。DVDとかブルーレイとかだと通常版ってことで、かなりカットされてるのよね。

・通常版の尺 ⇒ 184分

・完全版の尺 ⇒ 263分

その差なんと79分。

実際に通常版を観ると、結構重要なところがハショられているので、結構味気なくなってるし、流れを追うのに手いっぱいになって、イマイチこう、実際に伝えたいエモーショナルな要素ってのが薄れてて、すごい勿体ない感じになってる。

 

なので、カカセオとしてはこの貴重な完全版をデジタルで保存しておくことに、急な使命感を抱いてしまって、ここ数日を使って奮闘したって話ね。

まだギリギリAmazonでも完全版手に入るっぽいね。

 今回AD変換したけど、元のVHSの劣化があるので、将来的にはまた別のVHSを入手してそっちのが画質良ければまたそっちをAD変換するかも。。

 

てことで、次回からAD変換の作業そのものの内容と、あとはカカセオなりの解説やなんかを書いていこうと思うよ。

 

では、マタニティ。